自分は「安定」を好むタイプの人間だと思っている。

基本的に行き慣れた場所やお店にしか行かないし、初めての場所に向かうときはいつも小さなストレスを感じる。旅行は好きだが、綿密に予定を組むタイプだ。予測できないことが起こると疲れる。知らない人との電話はかなり苦手で、やむを得ずかけるときは台本が欠かせない。

行き慣れた場所、食べ慣れた味、いつも一緒にいる人たち、技術的な楽しさを感じられる仕事。それがずっと続くことが、自分にとっては何よりの幸せだと感じる。

怠惰な学生時代

高校3年のとき、第一志望の国立大学に落ちた。滑り止めの私立大学には受かっていた。素直にそこへ進めばいいものを、負けず嫌いが発動して浪人を選んだ。翌年、第一志望に受かった。

せっかく入った第一志望なのに、大学生活は、絵に描いたような怠惰だった。サークルや推し活1に明け暮れ、楽な授業ばかりを選び、最低限の出席で、ぎりぎりの点数で単位をとる。そんな日々だった。

大学には、3年に上がるタイミングで学部・学科を選べる制度があった。成績のいい人から順に、希望どおりの進路に進める仕組みだ。怠惰な自分が行き着いたのは、第4希望くらいの学科だった。大して努力もしていないくせに、その結果がやけに悔しかった。

3年に上がっても、相変わらず怠惰だった。実験レポートは一夜漬けで仕上げ、期末試験は前日の徹夜で詰め込んでぎりぎりの点をとり、卒業に必要な最低限の評定だけを積み上げる。研究室配属もまた成績順で、案の定、第3希望あたりに落ち着いた。

周りの9割2がそのまま大学院に進む環境だったので、自分も「とりあえず」で大学院に出願した。TOEFLはノー勉で臨んで壊滅し、専門科目も2日ほどしか勉強しなかった。内部進学だし優遇があるだろう、とどこかで甘えていた。結果は、ふつうに不合格だった。

プログラミングとの出会い、そして後悔

大学院に行かない以上、就職するしかない。ちょうどプログラミングに少し興味を持ち始めていたので、Web系の大手を手当たり次第に受けた。なんとか1社だけ、内定をもらえた3

働き始めてみると、プログラミングはどんどん楽しくなっていった。新しい知識を学び、知識と知識が有機的につながり、自分の中の地平が広がっていく。

社会人2年目でコロナが来た。強制的にリモートワークになり、満員電車の疲弊から解放され、皮肉なことに、自分の人生を見つめ直す時間ができた。

プログラミングがこんなに楽しくて、この仕事を選んで本当に良かったと心から思っていた。だからこそ、悔しさもこみ上げてきた。大学時代、本当はもっとコンピュータのことを学べたはず4なのに、自分は単位を取ることしか考えていなかった。あの頃にいま程度のモチベーションがあれば、大学院にも受かっていたかもしれない。

OSSへのコントリビュートを通じて、世界中の開発者とやりとりするようにもなった。かつては暗記科目、点数を稼ぐためだけの1教科でしかなかった英語が、自分と世界をつなぐ最強のツールなんだと、そこで初めて実感した。

好奇心のままに、社会人大学院

そうなると、居ても立ってもいられなくなった。夢中で調べるうちに、オンラインで学べる大学院があることを知った。英語で講義を受け、課題をこなしながら単位を積み上げていく、コースワーク型の修士課程だという。

コンピュータのことを、もっと基礎から知りたい。心の底から湧き上がるこのモチベーションに、身体のほうが先に動かされていた。

そうして、フルタイムで働きながら大学院に入った。

学生時代とは、まるで違った。楽に単位が取れる授業ではなく、自分の好奇心のままに履修を組んでいく。奇しくも、学びたいと思う授業ほど「課題がヘビー」というレビューがついたものばかりだった5

土日は課題と試験勉強に消えた。移動中の電車ではグリーン車に乗り、少しでも講義動画を消化した。息抜きがしたくなったら、鳥貴族に1人で入り、iPadで教材を読みながら貴族焼をむさぼり食った。

大変だが、着実に自分の中の好奇心が満たされていくのを感じていた。

入学から3年と少し。単位が揃い、2025年12月に無事修了した。最終的なGPAは3.8(4.0が満点)。学部時代の怠惰な自分とは、まるで別人のような数字だった6

束の間の「安定」と、一通の提案

そして今、2026年7月。修了から半年とちょっとが過ぎた。

コンピュータの基礎をもっと学びたいという欲求はある程度満たされ、自分はまた、あの大好きな「安定」した日々を謳歌していた。

その「安定」を、ある日、会社からの一通の提案が揺さぶった。「移住に興味はないか?」という提案があったのだ。

いま、会社のチームで日本にいるのは自分だけで、ほかのメンバーはアメリカとヨーロッパに散らばっている。チームミーティングは日本時間の午前1時7。日本の昼間、会社のSlackは静まり返り、夜になってようやく賑やかになる。

フルリモートとはいえ、北米かヨーロッパに移り住めば、同期的なコミュニケーションはぐっと取りやすくなる。飛行機で数時間ほどの距離なら、ふらっと出張して顔を合わせて働くこともできるかもしれない。そういうわけで、会社のサポートのもとで移住しないか、と打診された。あくまで提案であって、強制ではない。

揺れる天秤

年齢のことを考えると、そろそろパートナーも見つけないと、と思っていた矢先だった。ここで海外移住となれば、思い描いていた人生計画はまるごと後ろ倒しになる。後ろ倒しどころか、180度変わってしまう可能性すらある。

そもそも海外なんて、「安定」の対極だ。行政手続き、医療制度、食、気候、文化、慣習。住み慣れた日本とは、何もかもが違う。想像するだけで、あまりにストレスフルだ。

でもこれは、またとないチャンスでもある。ワーホリで海外に渡り、現地でゼロから仕事を探す人も大勢いる中で、自分の場合は今のチームで仕事を続けられる見込みがあり、しかも会社と相談しながら移住を進められる。

それに、ソフトウェア産業の中心は、やはりアメリカ西海岸だ。ビザの都合でアメリカに行くのは難しかった8が、アメリカ西海岸と同じタイムゾーンにあるカナダのバンクーバーなら、ビザ取得のハードルは自分にとって格段に低くなる。バンクーバーからサンフランシスコまでは、飛行機でわずか2時間半。近い。

At Caltrain station when visiting San Francisco
以前サンフランシスコ・ベイエリアに出張したときに駅で撮った写真

さらに、バンクーバーには、日本から北米キャリアに挑戦する人たちが集まるコミュニティ Frog がある。慣れない土地でそうしたつながりをもてることは、「安定」を好む自分にとって大きな安心材料だ。

抗えない衝動

思えば、大学院の3年間で、自分の中に一つの成功体験が残った。

自分の好奇心、自分の衝動に従うこと。その最中はどれだけ大変でも、終わって振り返ったときには「いい時間の使い方だった」と思えるはず。いまの自分には、そういう直感がある。

頭では「安定」を求めているのに、身体のほうが勝手に刺激を求めて動き出す。大学院のときと同じだ。

いま、会社と相談しながら、ビザの準備や雇用契約の確認を進めている。最後に一歩を踏み出すかどうかを決めるのは、自分だ。その一歩を選べば、自分はまたコンフォートゾーンを抜け、「安定」から離れることになる。

婚期は、がっつりと遅れそうだ9

Footnotes
  1. 「推し活」という言葉、当時はまだなかった気がする

  2. 誇張かもしれない。でも体感はそれくらい大学院に進んでいた

  3. 最終面接で3社くらい落とされた。何か薄っぺらい若者であることが見透かされていたのかもしれない

  4. 第4志望で入った学科が、たまたま情報系だった。まだコンピュータサイエンス関連の学科の人気が爆発する少し前だった

  5. OMSCentral に授業のレビューがある

  6. 詳しい道のりはジョージア工科大学から学位記が届いたや、ジョージア工科大学のコンピュータサイエンス修士課程を修了しましたに書いた

  7. 冬、北米のサマータイムが終わると午前2時になる

  8. アメリカで働く方法として、H-1BO-1を検討したが、実現には至らなかった

  9. 婚活をしている。vim-jpラジオに出演し、婚活の話をしたも参照